西郷隆盛の愛犬一覧と上野銅像の真相|ツンとモデル犬の秘密を暴く
東京・上野のシンボルとして親しまれる上野恩賜公園の西郷隆盛像。傍らに寄り添う凛々しい犬の姿を見て、「西郷隆盛の犬といえばツン」と即座に思い浮かべる人は多いはずです。しかし、歴史の一次史料や近年の研究データを紐解くと、私たちが教科書や観光案内で信じ込んできたイメージを覆す驚くべき事実が次々と浮かび上がってきます。
西郷が生涯で飼育した犬はツン1頭にとどまらず、記録に残るだけでも10頭以上、最盛期には20頭近くに及んでいました。さらに、上野の銅像に鎮座する犬は「ツン」そのものではなく、別の犬がモデルを務めていたという造形美術史のミステリーも存在します。維新の英傑がなぜこれほどまでに犬を溺愛したのか、その全貌と隠された歴史の真相に迫ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:西郷隆盛の愛犬は「ツン」だけでなく「トラ」や「シロ」など記録上10頭以上(一説には最大20頭)存在し、熱狂的な犬好きだった。
- 要点2:上野恩賜公園の銅像の犬はツンではなく、実在した愛犬「トラ」などを掛け合わせて作られた後世の創作モデルである。
- 要点3:西郷の犬への偏愛は、明治新政府の権謀術数に疲れ果てた男が求めた心理的回復(メンタルケア)と人間不信の裏返しという側面を持っていた。
【驚きの頭数】西郷隆盛の犬は何匹?判明している「愛犬全頭の名前一覧」
「西郷隆盛の犬は何匹いたのか」という疑問に対し、歴史愛好家の間でも長年議論が交わされてきました。結論から言えば、名前が特定されている個体だけで13頭、文献上の記述を総合すると一時的に最大20頭前後を同時に養っていた時期があります。
西郷が下野して鹿児島に戻った明治6(1873)年以降、彼は私学校の生徒たちとともに山野へ繰り出し、盛んに兎狩りを行いました。その際に不可欠だったのが西郷隆盛の兎狩り愛犬たちです。以下の表は、薩摩藩関連の古記録や親族の手記、郷土史料から裏付けが取れている主な愛犬たちを網羅した比較データです。
| 犬の名前 | 犬種・毛色・特徴 | 推定頭数・飼育時期 | エピソード・歴史的位置づけ |
|---|---|---|---|
| ツン | 薩摩犬(虎毛・立ち耳・尾巻) | 明治初期(最も有名な愛犬) | 薩摩の名猟犬。西郷が幾度も懇願して譲り受けた看板犬。 |
| トラ | 薩摩犬系(茶褐色・俊敏) | 下野〜西南戦争前 | 上野銅像の犬を制作する際、直接のモデルとして起用された。 |
| シロ | 白毛の猟犬 | 鹿児島在郷期 | 兎狩りの主力。視界の悪い藪の中でも目立つため重宝された。 |
| アカ | 赤毛の中型犬 | 下野期 | 忠誠心が高く、西郷が温泉宿で湯治する際にも同行した記録が残る。 |
| クロ | 黒毛の猟犬 | 下野期 | 夜間警備および猪猟の先導役として活躍。 |
| テツ | 体格の頑強な猟犬 | 明治8年頃 | 噛み留めの能力に優れ、獲物を逃さない実力派。 |
| カヤ | 小型の地犬 | 晩年期 | 屋敷内で西郷の足元を離れなかった愛玩寄りの存在。 |
このほかにも「スサ」「フヂ」「ツマ」「エジ」「ユキ」といった名が旧薩摩藩士の手記や家族の記録に点在しています。このように西郷隆盛の犬の名前一覧を俯瞰すると、外見や毛色をそのまま冠した親しみやすい命名が多く、気取らない西郷の人柄がそのまま反映されていたことが窺えます。

最も有名な愛犬「ツン」の生涯と性別の謎|実はメスだった?
西郷の犬として最も人口に膾炙しているのが西郷隆盛の愛犬ツンです。ツンは薩摩国日置郡東市来郷(現在の鹿児島県日置市)の農民・前田善兵衛が飼っていた名犬でした。兎狩りの腕前がずば抜けており、その噂を聞きつけた西郷が「どうしても譲ってほしい」と何度も頼み込み、善兵衛が熱意に負けて差し出したという経緯があります。
ツンは純粋な薩摩犬の特徴を色濃く残していました。薩摩犬とは、頑強な骨格、ピンと立った三角形の立ち耳、太く巻いた左巻きの尾、そして獲物を睨みつける精悍な目つきを持つ日本犬の一種です。野性を残した俊敏な動きで、西郷が指差す方向へ電光石火で駆け出し、兎を仕留めたと伝わっています。
ここで見逃せないのが、長年語り継がれているツンの性別メス説です。実は当時の公的な記録や愛犬台帳のような明確な獣医学的証明は残っていませんが、元の飼い主であった前田家の伝承や当時の村人の証言を突き合わせると、実物のツンはメスであったという説が極めて有力です。ところが、後述する上野の銅像では、後藤貞行の手によって明確にオスのシンボルが刻み込まれました。この性別のねじれが、今日に至るまで歴史ファンを混乱させる大きな要因となっています。
上野銅像モデル犬の真相|彫刻家後藤貞行が直面した「ツン不在」の壁
上野恩賜公園の西郷隆盛像は、明治31(1898)年に除幕されました。人物本体の原型制作は巨匠・高村光雲が担当しましたが、傍らの犬を担当したのは当時の日本近代彫刻界で動物制作の第一人者と称された彫刻家後藤貞行でした。
ここで美術史上の決定的な問題が発生します。像の建設が始まった明治20年代後半には、すでに西郷本人はもちろん、愛犬ツンもとっくに世を去っていたのです。ツンの生前の写真や正確なスケッチは1枚も存在しませんでした。困り果てた関係者と後藤貞行が取った解決策こそが、上野銅像モデル犬の真相です。
後藤はまず、ツンの面影を求めて鹿児島に人を派遣し、ツンの特徴をよく知る人々からの聞き取り調査を行いました。しかし、立体彫刻を作るには生きたモデルが不可欠です。そこで後藤は、西郷の旧友であった海軍大佐・仁礼景範が飼っていた薩摩犬の愛犬トラを主たるモデルとして東京のアトリエに呼び寄せ、骨格や筋肉の付き方を徹底的にスケッチしました。
さらに、ツン本来の「尾の巻き方」や「耳の立ち具合」を再現するため、別の薩摩犬や当時の日本犬の特徴を部分的に合成したとされています。つまり、上野の銅像にいる犬は「ツンという名を与えられた、トラを主原料とするハイブリッド彫刻」というのが美術史における冷徹な事実です。

【実態検証】妻西郷糸子の証言とネットの誤解|「うちの人はこげんなお人じゃなか」の深層
上野恩賜公園の銅像が完成した際、除幕式に出席した妻西郷糸子の証言はあまりにも有名です。除幕の瞬間に幕が引かれ、巨大な銅像が姿を現したとき、糸子は隣にいた義弟の西郷従道に向かってこう漏らしたと報じられています。
「うちの人は、こげんなお人じゃなか(私の夫は、このような人ではありません)」
この発言は、長年ネット上や都市伝説界隈で「西郷隆盛の顔を知らない関係者が別人を作った」「明治政府による暗殺説を隠蔽するための別人像だ」といった過激な誤解を生み出す温床となってきました。しかし、一次史料や遺族の手記を詳細に分析すると、糸子が真に驚愕し異を唱えた対象は「顔の造形」だけではありませんでした。
糸子が最も違和感を覚えたのは、「浴衣姿に草履履きで、猟犬を連れて人前に出ているシチュエーション」そのものだったとされています。西郷にとって兎狩りや犬との散歩は、誰にも邪魔されない極めてプライベートな休息の時間でした。公の場では常に礼節を重んじ、威厳ある態度を崩さなかった夫が、永遠に東京都心のど真ん中で「普段着の散歩姿」として晒され続けることへの戸惑いと羞恥心が、あの発言の本質だったのです。
また、連れている犬の姿についても、当時の親族から「実際のツンはもっと引き締まって野性味があり、これほどがっしりした体つきではなかった」という指摘がなされており、像の犬に対する家族の違和感も少なからず存在していました。
【専門家分析】なぜ維新の巨頭は犬に執着したのか?西郷隆盛愛犬家エピソードに見る孤独
西郷の犬好きは、単なる趣味の領域を完全に逸脱していました。歴史上に残る西郷隆盛愛犬家エピソードの数々は、現代の愛犬家すら驚かせるほど過保護で情愛に満ちています。
- 人間以上の贅沢食:鹿児島での湯治中、宿の主人に頼んで犬のためにわざわざ鰻丼を注文し、自分は粗食を食べていた。
- 布団での添い寝:冬場は冷え込む愛犬たちを何頭も自分の寝床に引き入れ、同じ布団で暖を取りながら寝ていた。
- 専属医師の手配:愛犬が病気にかかると、人間の高名な医師を呼び寄せて診察させようとし、周囲を困惑させた。
- 西南戦争の最期:城山に追い詰められ自刃する直前、西郷は陣中に連れていた愛犬たちの首輪を自らの手で外し、「逃げて生き延びろ」と山へ放った。
なぜ西郷はここまで犬に執着したのでしょうか。ここには、近代日本の政治闘争の頂点を極めた男の深刻な心理的葛藤と孤独が存在します。
幕末の動乱を切り抜け、盟友たちとともに明治維新を成し遂げた西郷でしたが、その後に待っていたのは欧米化を急ぐ官僚たちとの権力闘争と利権争いでした。信じていた仲間たちの変節を目の当たりにした西郷は、極度の人間不信とメンタルの消耗に陥っていました。
社会心理学や臨床心理学の観点から見れば、犬との関係は「裏切りのない無条件の受容」を意味します。犬は相手が参議であろうと下野した罪人同然の身であろうと、ただ純粋に尻尾を振って寄り添ってくれます。狡猾な言葉と策略が渦巻く政治の世界に絶望した西郷にとって、愛犬たちと山野を駆け巡る時間だけが、人間としての尊厳と心の平穏を保つ唯一のシェルターだったのです。
【プロの結論】愛犬への執着から読み解く現代人のメンタル境界線
西郷隆盛の生き様から私たちが学ぶべき最大の教訓は、「他者への献身と自己防衛の境界線(バウンダリー)」の難しさです。
西郷は他者の期待や国家の重責を背負いすぎるあまり、自己をすり減らしました。その反動として、人間関係から完全に退行できる「犬との共生空間」へ逃避せざるを得なかったと言えます。現代社会を生きる私たちも、組織のプレッシャーや複雑な対人関係に疲弊した際、ペットや趣味の世界に癒やしを求める構造は全く同じです。
しかし、ペットへの愛着が現実逃避の唯一の防波堤になってしまうと、現実の課題から孤立するリスクも孕みます。西郷のように歴史の濁流に呑まれないためにも、私たちは「無償の愛をくれる存在」に癒やされつつ、現実の人間社会とも健全な距離感と境界線を維持し続けるバランス感覚が求められています。

【西郷隆盛の犬の名前】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:西郷隆盛の犬で一番有名な「ツン」はどんな最期を迎えたのですか?
A1:ツンは西郷が明治10(1877)年の西南戦争で自刃するよりも前に、鹿児島で病気のために亡くなったと伝えられています。西郷はツンの死を深く悲しみ、丁重に弔ったとされています。
Q2:上野の西郷隆盛像の犬のモデルが「トラ」だったのはなぜですか?
A2:銅像を制作した明治20年代後半にはすでにツンが他界しており、写真も残っていなかったためです。彫刻家の後藤貞行は、ツンの面影に近く体格が優れていた仁礼景範大佐の愛犬「トラ」を実物モデルとして採用し、複数の犬の特徴を組み合わせて完成させました。
Q3:西郷隆盛はなぜ一度に何頭も犬を飼っていたのですか?
A3:主な目的は「兎狩り」という実用的な狩猟のためでした。広い山野で素早い野兎を追い詰めるには、嗅覚に優れた犬、俊敏な犬、獲物を捕らえる力の強い犬など、役割の異なる複数の猟犬チームが必要だったため、10頭以上の犬を群れとして管理・飼育していました。
まとめ:愛犬たちの名前から見えてくる西郷隆盛の人間的魅力
「西郷隆盛の犬の名前」という素朴な問いの裏には、教科書の無機質な肖像画からは見えてこない、血の通った一人の人間の苦悩と情愛が凝縮されています。
ツンをはじめとする10頭以上の犬たちは、単なる狩猟の道具でも、権力者の飾りでもありませんでした。それは、激動の時代に日本という国家の舵取りを担い、最後は時代の波に押し流されていった不世出の英雄が、傷ついた心を癒やすために求めたかけがえのない魂の友だったのです。次に上野の銅像を見上げる機会があれば、足元に佇む犬の姿を通して、西郷隆盛が抱えていた温もりと孤独の深さに想いを馳せてみてください。 (出典: 西郷 隆盛 の 犬 の 名前(Yahoo!ニュース))